【裁判例】専門外の疾患と医師の過失 | 医療事故 医療過誤 / 弁護士法人ALG&Associates

メニュー(タッチして展開)

裁判例.5 専門外の疾患と医師の過失(東京地裁平成20年9月11日)

1.事案の概要

患者をXとし、被告病院をYとする。

<時系列>呼吸器内科へ受診した経緯

平成10年4月13日

昭和60年5月頃から、Y内科を継続的に受診していたXは、夫がY吸器内科に転科するのに伴い、受診の便宜上、夫と同じくY呼吸器内科に転科し、担当医であるEの下で、高血圧及び甲状腺機能低下症の管理治療を継続することになった。

呼吸器内科での診療経過

Xは、Eから継続的(月1回程度(平成10年4月13日から平成18年3月30日までの間に計92回))に診察を受け、アダラート及びチラージンなどを処方され、主に高血圧及び甲状腺機能低下症に対する疾病の管理治療を受けていた。

Xは、癌の心配をしていたものの、Eより内視鏡検査やバリウム検査の受診を勧められても、地区の定期検診を受けているからその必要はないと述べて、侵襲性のある検査を拒否し、腫瘍マーカー検査を受けていた。

またXは平成11年3月8日にEに診察を受けた際、胃癌の検査はやりたくないと述べた。

平成17年夏から秋ころより、Xは、食後の胃痛・胃部不快感を頻繁に訴え始め、その後、食間の胃痛・胃部不快感、頻回のゲップを訴えるようになり、これらの症状はEにも伝えられ、同年8月8日から同年12月12日までの診療においても、胃散、ガスター、ストロカインといった胃薬の処方を受けた。

もっとも、Xは、平成10年頃からEに対し胃の不調を訴え、胃散、ガスター、ストロカインなといった胃薬の処方を受けていた。

<時系列>消化器内科への転科

平成18年3月30日

Xは、Eより紹介を受けて、腹痛等を主訴として、Yの消化器内科を受診し、腹部CT撮影を行ったところ、CT画像上は、明らかな腫瘍は認められないものの、腹水が認められた。

同年4月5日

Xが再度消化器内科を受診したところ、上記CT画像の説明を受けたため、精査目的の入院予約を申し込んで帰宅した。

同月7日

腹痛の増悪等を主訴として、Yを救急受診し、入院。

同月8日

腹部内視鏡検査を受け、ステージⅣの進行胃癌の確定診断を受けた。

同年6月2日

その後、北里研究所病院に転院するも、胃癌及び癌性腹膜炎によりX死亡

2.医学的知見

(1)胃癌の症状

臨床症状としては、胃癌に特有な症状はない。

進行癌であれば、その発生部位よりある程度の類推が可能であるが、絶対的ではない。

また、胃癌は、その進行の程度にかかわらず、症状が全くない場合もある。

身体所見としては、進行癌であれば、ときに腫瘤を触れる場合もある。

腹膜転移を起こした場合には腹水がみられることがある。

末期には、貧血、るいそう、リンパ節転移を起こす。

(2)胃癌の診断方法

胃癌の存在診断はX線検査および内視鏡検査によってなされ、確定診断には内視鏡直視下生検が必要である。

癌の広がり(浸潤、転移など)の診断には、X線検査、超音波内視鏡検査、腹部超音波検査、CT検査等があり、これによって病期を判定して、治療方法を決定する。

(3)スキルス胃癌

スキルス胃癌は、癌細胞が胃壁の中で広がって粘膜の表面には現れない特殊な胃癌で、診断がついた時点で60%の患者に転移が見られる。

スキルス胃癌の治療成績は極めて悪く、5年生存率が0%であるといわれたことがあり、最近、その治療法の向上により少し成績が向上してきたが、なお通常の胃癌の治療成績の域には達しない。

スキルス胃癌は胃癌の中では最も悪性度が高く極めて早い速度で増殖し、時には数か月で転移するに至ることもまれではない。

スキルス胃癌との診断を受けた時点で、既に癌性腹膜炎の状態で余命3か月と宣告された患者の症例において、上記診断の1年前には癌が存在しないか、存在しても極めて微少なものであった可能性が高いとされた症例も存在する。

(4)腫瘍マーカー検査

腫瘍マーカーとは、癌の存在や性質を知るうえで有用な物質の総称として広く用いられている。

「癌細胞が作る物質、または、癌の存在に反応して他の細胞が作る物質で、それを組織、体液、排泄物中に検出することが、癌の存在、種類、進展度、性質などを示す目印となるもの」と定義するものもある。

もっとも、胃癌に特性の高い腫瘍マーカーは現在までのところ登場していない。

3.判例要旨

(1)Xは、高血圧及び甲状腺機能低下症の管理治療を受ける目的で、Y呼吸器内科へ転科し、転科後から平成18年3月までの間のY呼吸器内科における診療では、主に上記疾病の管理治療がなされていたことが認められるほか、侵襲性の高い検査等はしたくないと言っていたという事情が認められるため、これらの事情を考慮すれば、Xが、Eに対し、自らに癌が発症した場合の早期発見を普段から繰り返し依頼し、これをEが受諾したとは認め難く、Yが、Xに対し、患者の症状等に応じて診療当時の医療水準を満たした診療を行うという一般的な診療契約上の債務以上に癌の早期発見のための高度の検査義務、診療義務を負担していたとは認め難い。

Xには、平成17年夏から秋頃に胃部不調や口臭等の症状が存在したと認められるが、他方、胃癌に特有の症状はなく、上腹部痛・不快感、悪心・嘔吐、上腹部膨満感などの症状から胃癌を推定することはほとんどできないこと、口臭も必ずしも胃癌を推定する症状ではないことが認められ、これらの医学的知見に照らせば、Xの上記のような胃部不調等の症状が、それらだけをとりあげて胃癌の発症を疑わせる症状であったとは認め難い。

一方で、Xのような高齢者に対してX線検査や胃内視鏡検査を行う場合にはイレウスの発症や穿孔を生じる危険性があることが認められることなどを考慮すれば、平成17年夏から秋頃、EがX線検査や胃内視鏡検査実施義務を負っていたと認めることはできない。

そもそも、いわゆるスキルス胃癌の場合の増殖の速度は早く、時には数か月で転移するに至ることもまれではないことなどから、Xがスキルス胃癌との診断を受けた時点からおよそ10か月前である平成17年夏から秋頃の時点において、Xにおいて胃癌が発症していたことは、本件の全証拠によってもこれを認めるに足りない。

以上からすれば、Eに平成17年夏頃から秋頃のXの胃部変調の訴えに対して、胃X線検査の実施等のがんの早期発見に必要な措置を取らなかった過失があったとはいえないし、またEに胃X線検査等の実施の必要性をXに説明する義務を怠った過失があったともいえない。

(2)Eが、Xに対し、腫瘍マーカーの検査値が正常であることと癌の発症の有無との関係について医学的に誤った説明を行ったとは認め難い。

また、医師としては、患者が精神的に安定した平穏な生活を送ることができるように、患者の不安を強めたり、不必要に患者の動揺や混乱をきたす発言を控えることも重要であると考えられるから、仮に腫瘍マーカーの検査結果に関するEの説明にそのような考慮に基づくものが含まれており、そのことが癌の発症の心配はないとXが思いこむ一因になったとしても、Eがそのような説明をしたこと自体がXに対する診療契約上の債務不履行ないし不法行為を構成すると解することはできない。

4.医療事業部 弁護士による解説

医師には、患者から診療を求められたときには、原則としてこれに応じなければならない義務、いわゆる応招義務(医師法19条1項)があり、専門外の疾患について治療を求められた場合であっても医師は原則として診療を拒むことはできない。

本件でも、XがE(呼吸器内科医)に対し、胃癌に関する高度の検査等を依頼していたとすれば、EはXの求めに応じた対応(高度の検査をする、又は転科・転院を指示する等)をすべき義務が認められた可能性はある。

しかし、本件では、スキルス胃癌の特性から、原告が検査すべきと主張した時期(平成17年夏から秋頃)に検査を実施したとしても、Xが胃癌を発症していたとは認められないと認定されており、仮に検査義務が認められたとしても、それを怠った過失と死亡との間に因果関係が肯定されたと言えるかは疑問が残る。

裁判例集に戻る

医療事故解決相談メニュー